2014年11月28日金曜日

人間精神の名誉のために

Carl Gustav Jacob Jacobi (1804年-1851年) の言葉「人間精神の名誉(l'honneur de l'esprit humain)」は、André Weilの『数学の将来』 "L'avenir des mathématiques" (1947) にも引用されている。この論説は翌1948年に彌永昌吉氏によって翻訳されており、ガリ版刷りのものを読んだ数学関係者も多いであろう。


Jean Dieudonneもこの言葉を好んだようで、"Pour l'honneur de l'esprit humain : Les mathématiques aujourd'hui" (1987) という著書もある。この本は高橋礼司氏によって翻訳もされている「人間精神の名誉のために―数学讃歌」(1989、岩波書店)。

Jacobiがこの言葉を述べたのは、1830年 7月2日のLegendreへの手紙の中である。Jacobi全集第一巻p.455に収録されている。Jacobiはドイツ人であるが、手紙の原文はフランス語のようである。少し長いがこの言葉を含む段落を引用しよう:
J'ai lu avec plaisir le rapport de M. Poisson sur mon ouvrage, et je crois pouvoir en être très-content; il me parait avoir très-bien présenté les deux transformations. qui, étant jointes entre elles, conduisent à la multiplication des fonctions elliptiques, en quoi il a été guidé sensiblement par vos suppléments. Mais M. Poisson n'aurait pas dù reproduire dans son rapport une phrase peu adroite de feu M. Fourier, où ce dernier nous fait des reproches, à Abel et à moi, de ne pas nous être occupés de préférence du mouvement de la chaleur. Il est vrai que M. Fourier avait l'opinion que le but principal des mathématiques était l'utilité publique et l'explication des phénomenes naturels; mais un philosophe comme lui aurait dù savoir que le but unique de la science. c'est l'honneur de l'esprit humain. et que sous ce titre, une question de nombres vaut autant qu'une question du système du monde. Quoi qu'il eu soit, on doit vivement regretter que M. Fourier n'ait pu achever son ouvrage sur les équations, et de tels hommes sont trop rares aujourd'hui, même en France, pour qu'il soit facile de les remplacer. 
青くハイライトしたところが当該箇所であるが、Jacobiがこの言葉を述べたのは、Fourierの意見「数学の主要な目的は公共の利益と自然現象の解明である」に反論したものである。Joseph Fourierは1768年3月21日生まれ、この手紙を書く少し前の1830年5月16日に死去している。

この段落の前半に熱伝導に関して先取権の争いが、FourierとAbelやJacobiの間であったことも述べられており、FourierにJacobiが良い印象を持っていなかったのかもしれないが、私は他の文献を知らないのでわからない。Fourier死後まもなくLegendreに送った手紙にはnegativeなことを書いていたことは確かである。

2014年3月15日土曜日

円周率の話

円周率の話

3月14日は過ぎてしまったが、円周率の話。よく知られるように、πは超越数であるが、この超越性の証明は難しい。無理数性の証明は古くから知られ、最初に行ったのはJohann Heinrich Lambert で1762年である。

 Mémoire sur quelques propriétés remarquables des quantités transcendentes circulaires et    logarithmiques. Histoire de l'Académie (Berlin, published 1768) XVII: 265–322.


であるが、読みにくい。archive.orgのほうが読みやすい。さらに超越性の証明を行ったのがCarl Louis Ferdinand von Lindemann (1882)であり、論文のタイトルもシンプルである:

  Ueber die Zahl π, Math. Ann. 20 (1882) , 213--225

その後もいろんな証明があるが、きわめて簡単なものがIvan Niven によるたった1ページの証明である

 A simple proof that π is irrational. Bull. AMS 53 (1947) 509

1ページしかないので、解説を加えて行間を埋めたサイトがいくつかあるが、それは野暮というものである。おそらくNivenはあえて1ページに収まる形に書いて「simple proof」としたに違いない。
ハーバード大学数学教室でほぼ毎年行われる pi contest のサイトにも解説だけでなく、Nivenのたった1ページの論文が画像として貼られている。

Nivenの精神を尊重して、140文字・1ツイートにまとめたのが次:


Nivenの積分を用いて、少し別の形で証明させる問題が、阪大の2003年後期の入試問題4番で出題された。ネットでも紹介されているようである。

πの歴史について、原論文を紹介しているのが
   Lennart Berggren, Jonathan Borwein, Peter Borwein
   Pi: A Source Book, 1997, Springer

である。Lambert, Lindemann, Nivenの論文も収録されている。

3月14日生まれの数学者

数学者ではないが、1879年生まれのAlbert Einsteinが3月14日生まれの一番有名な科学者であることは疑う余地がない(アインシュタインより有名な人物を探すのも難しい)。
数学者としては、πに一番近い研究をしたのが、Waclaw Sierpinski (1882生)。シェルピンスキーの三角形などフラクタル曲線の研究が有名であるが、

  原点中心の半径rの円に含まれる格子点(x,y座標がともに整数)の数をR(r)とすると
  定数Cが存在して |R(r)-π r^2|<C r^k となる定数kがある。
  kの最小値dはd≦2/3 である。

という結果を出している。この問題は、ガウスが先に考えており、ガウスは d≦1 としている。現在どこまで精密化されているか知らないが、 d≦7/11 までは得られている。
シェルピンスキーはまた、正規数についても研究がある。N進正規数というのは、実数aをN進展開したとき、その桁に現れる数字0~N-1が等しい確率で現れるというものである(正確には、N新展開して、それをr桁ずつ切ったときに、そこにあらわれるr桁の数字が等しい確率で現れることまで要求する)。そして、任意のN(≧2)に対してN進正規数であれば、正規数という。
シェルピンスキーの論文は

Démonstration élémentaire du théorème de M. Borel sur les nombres absolument normaux et détermination effective d'une tel nombre.
Bulletin de la Société Mathématique de France, 45 (1917), p. 125-132

である。もともとはE.Borelが示した結果を簡単にしたものである。

円周率πが正規数かどうかは不明である。数値実験によって、π、eや代数的な無理数は正規数であろうと予想されているが、証明はない。「πの小数展開を先の方まで見ていけば、どんな有限数列も出現する」はずである。

2014年2月20日木曜日

最速降下法

最速降下法(鞍点法)について


最速降下法(鞍点法)について、文献が交錯してるようなので自分で整理し直した。

ピエール=シモン・ラプラス

∫g(x) exp(λf(x))dxを近似する「Laplaceの方法」はもちろんピエール=シモン・ラプラスによる:

 「Theorie analytique des probabilites」(1812)

Laplaceの「確率論―確率の解析的理論―」は共立出版・現代数学の系譜から邦訳もある。Laplace変換の原始的な形で表れているが、Laplaceはすでに先を見ていた。

複素積分へ~Cauchy

さて、問題はこのLaplaceの方法を複素積分で考え、「最速降下線」を考察する場合である。Laplaceの時代は、まだ複素解析がなかった(というよりも、実解析という意識もなかったと思われる)。複素積分を意識して始めたのは言うまでもなくAugustin Louis Cauchyである。そして、Cauchy本人が,最初に最速降下法を扱っている:

Mémoire sur divers points d'analyse
Mém Acad France, 8 (1829), 97-100,101-129

最速降下法の確立~Nékrassov

Cauchyの手法をさらに進めたのが、ロシアのP. Nékrassovである。Nékrassovは逆関数を求めるLagrangeの反転公式を最速降下法で考察した。次のp.490
Serie de Lagrange et expressions approchées des fonctions des grands nombres. Chapitre III
Mat. Sb., 12 (1885),483--578

このロシア語論文は西側には知られなかったが、ロシアでは有名だったようだ。

話を戻して~RiemannからDebyeへ

ベッセル函数の漸近解析などで必要になることもあって、最速降下法を最初に考察したのは、ノーベル化学賞受賞者であるP. Debyeである、と書いてあるものもある

Nährungsformeln für die Zylinderfunktionen für große Werte des Arguments und unbeschränkt veränderliche Werte des Index, Math. Ann. 67(1909), 535--558

Debyeが元にしたのは、B.Riemannの未発表論文
Sullo svolgimento del quoziente di due serie ipergeometriche in frazione continua infinita,
Bernhard Riemann's Gesammelte mathematische Werke (1876), 400--406
である。Riemannは、このイタリア語論文では超幾何積分を最速降下法で扱っていた。

Watsonの補題

Bessel Functionのテキストで有名なG. N. WatsonもDebyeとほぼ同時期にWeber函数の漸近展開を考察する際に最速降下法を使ってる。

The Harmonic Functions Associated with the Parabolic Cylinder
Proc. London Math. Soc.  s2-8 (1910)  393-421

さらに、∫g(x) exp(λf(x))dx型の積分の漸近展開を与えるWatsonの補題

The Harmonic Functions Associated with the Parabolic Cylinder
Proc. London Math. Soc. s2-17 (1918)  116-148

で与えられている。論文題名が同じなので紛らわしい。

参考文献

西欧で知られていなかった、Nékrassovの論文を紹介したのが以下の論文である。最速降下法の歴史について参考になると思う:

Svetlana S. Petrova, Alexander D. Solov'ev.
The origin of the method of steepest descent.
Historia Mathematica 24(1997), 361--375.