δij = 1 (i =j), =0 (i ≠j)
は、線型代数やテンソルなどでおなじみである。しかしながら、原典が何かとなるとはっきり書いてあるものを見ない。
Earliest Known Uses of Some of the Words of Mathematics は数学用語の初出を調べるには便利なサイトである。しかし、KRONECKER DELTA の項目には
The term KRONECKER DELTA is found in 1926 in Riemannian Geometry by Luther Pfahler Eisenhard: "These are called the Kronecker deltas and are used frequently throughout this work." The term is used because Kronecker used the construction in his lectures. [Joanne M. Despres of Merriam-Webster Inc.]
クロネッカーの原論文
レオポルト・クロネッカー(Leopold Kronecker) の全集(全5巻、第3巻は2分冊)をざっとあさると1882年の
"Addition to the Articles, 'On a New Class of Theorems,' and 'On Pascal's Theorem.'" Philosophical Magazine 37 (1850): 363-370. (The collected mathematical papers of James Joseph Sylvester, v.1, p.150)
E. Laguerre, Sur le calcul des systèmes linéaires (Extrait d'une lettre adressée à M. Hermite) J. École Poly, T25, C. XLII, 215-264; 1867.
L. P. Eisenhard の"Riemannian Geometry"(1926)を見ると確かに2ページに Kronecker deltas が表われている。他にも Oswald Veblen の"Invariants of Quadratic Differential Forms" (1927) の3ページにも Kronecker deltas という言葉が使われており,この時期すでに一般的な用語であったことが推測できる。おそらく、線型代数だけではなく、不変式論や微分幾何などで普通に使われていたと思われる。残念ながら、誰がいつ頃から Kronecker delta と言い始めたのか、私には分からない。
Leopold Kronecker, "Die Subdeterminanten symmetrischer Systeme",
Monatsberichte der Königlichen Preussische Akademie des Wissenschaften zu Berlin (1882), 821--824 (Werke v.2, p.391)
Monatsberichte der Königlichen Preussische Akademie des Wissenschaften zu Berlin (1882), 821--824 (Werke v.2, p.391)
に,今で言うクロネッカー・デルタそのものが使われていることが見て取れる:
他にも、1890年の論文 "Über orthogonale Systeme" でも使っている(Werke v.3-1, p.373)。すでにリンクさせているが、クロネッカー全集は弟子の一人であるクルト・ヘンゼル(Kurt Hensel)によって編集されており、全5巻をオンラインで読むことが出来る。
クロネッカー以前に、同様の記号を考えた人がいないのかどうかまでは分からない。線型代数の歴史は17世紀頃から、日本の関孝和、ライプニッツらによる行列式の話に遡ることができるが、実質的に行列式の理論ができていったのは18世紀以降であろう。さらに、連立一次方程式の係数をひとまとめにして「行列」と見ることが出来るようになったのは19世紀半ばからである。
クロネッカー以前の線型代数
線型代数の話の中で「Matrix」(母なるものなどの意味)という用語を最初に用いたのは Joseph Sylvester で1850年である:
シルベスターの仕事の中で「行列」はいくつか表われているが、本格的に行列論を展開したのは
Arthur Cayleyである:
"A Memoir on the Theory of Matrices",
Philosophical Transactions of the Royal Society of London, 148 (1858), pp. 17--37 (The collected mathematical papers of Arthur Cayley, v.II p.475)
は名言?であろう。しかし、おそらく大陸の数学者たちはこのケイリーの仕事の多くはEisensteinやHermitの2次形式の理論などの形ですでに知っていたと思われ(Hamilton-Cayleyの定理はのぞく)、証明抜きのケイリーのスタイルはすぐには大きな影響をおよぼさなかったようである。
Philosophical Transactions of the Royal Society of London, 148 (1858), pp. 17--37 (The collected mathematical papers of Arthur Cayley, v.II p.475)
この論文の中で、今で言うHamilton-Cayleyの定理が証明抜きで述べられている:
I have not thought it necessary to undertake the labour of a formal proof of the theorem
in the general case of a matrix of any degree.
むしろ、独自に行列の理論を展開したものとして、
G. Frobenius, "Ueber lineare Substitutionen und bilineare Formen" Crelle J. 84 (1877), 1-63.
等がある。ガロア理論の解説書
C.Jordan Traité des substitutions et des équations algébriques (1870)
にも行列の理論が少し解説されている。
クロネッカーが、彼の名前をつけたクロネッカー・デルタを用いた1882年ごろは、ようやく行列の理論が整備された頃で、クロネッカー以前に同様の記号を用いた人はあまりいなかったかもしれない。
クロネッカー以後